報告書類

言葉にできる人になれますように

帰国、そして

結局、GW唯一と言っていいイベントだったBBQには間に合いませんでした無念。

 

仕事の関係で、数日間ドイツに行ってきました。行った街は国内屈指の古都で、歴史を感じさせる街並み(と言っても、戦争で爆撃にあい、現在の街並みは復元した部分が多いそうですが…)が広がっていて、観光地ではないので人も少なく、非常に居心地のよいところでした。

 

仕事の合間を縫ってお土産を買うために、現地のスーパーやら百貨店やらを上司と走り回ったのが楽しかった笑

 

それはそうと、滞在期間中痛感し続けたのが、自分の語学力のなさ…。もともと喋れはしないけど、学生の頃に比べて、もうほんとに言葉が出てこない。単語も、フレーズも何も出てこない…聞き取りもできない…

もちろん、ドイツ語は全く触れてこなかった言語なのでそれが分からないのはいいとして、英語が…解らない…

わたしは一応外国語学部の端くれ出身で、人よりも多く語学に時間を費やした筈なのに。

現地ですらすらと通訳をし、コミュニケーションを繋いでくれる方々と今の自分との距離があまりにも遠く、あぁ私が学生時代に手にしたものは全て無に帰してしまったのだと、改めて突きつけられる思いでした。

 

つまり何が言いたいのかというと、

“中途半端にかじった分野は、むしろ後々のコンプレックスになりやすく、その居心地の悪さとどう付き合っていけばよいのだろうか”という話です。

 

全く触れた事がない分野は、当然知らない/できないものと自分で理解しているので、特に恥じることも無い(一般常識的なものは別として)ですが、たとえばスポーツの技術だとか、学習した知識だとか、以前はそれなりに誇れるものだったのに今は衰え忘れてしまい、残念なレベルに落ち込んでしまったものや、過去に経験はあるのに、たいしたレベルに至らないうちに辞めてしまったものは、今となっては無力感や喪失感、挫折感のトリガーになってしまっていませんでしょうか。

それを得意としていたことが、周囲に知れていたりでもしたらなおさら。

せっかく努力した過去があるものなのに、だからこそ今の自分のお粗末さが許せなくて、向き合うのがつらい。

しかし当時のレベルに戻すために今から努力するのは時間、体力等々の面で非常に難しいのが現実で。

 

いつか時間が「昔この分野ではまぁまぁ慣らしたもんよ」と語れる人にしてくれるのでしょうか。性格の問題でしょうか。

 

とりあえずの精神衛生上の対処法としては、失ったものは取り戻せなくても、今の自分が持っている能力や環境には自信を持っていられるよう、努力を続けることなんでしょうね。

 

ただぼやきたかっただけなので、うっすい言葉で無理矢理締めてしまいましたが本日はこの辺で。

 

 

【追記】

最近、本や漫画を買っても放置してしまうことが多々あり、「こ、これが例の“オタクの老い”…!」と恐ろしくなっているのですが、また英会話フレーズの本を買ってきてしまいました。どうせ英語を使う機会なんてまぁ無いので、平積み予備軍です。